横山岳
フライングブラボーの話
先月、夏休みをいただいて
フランス・パリへ行ってきました。
何度か番組でもお伝えしていますが、幼少期をパリで過ごしました。
2歳から5歳までの3年間。
今回はその時以来、およそ四半世紀ぶりの”里帰り”です。


旅の目的の一つである、思い出の地巡り。
思い出の写真と同じアングルでパシャり!






変わってたり、変わってなかったり。
当時の記憶はさほど蘇ってはきませんでしたが、
日本とは違うパトカーのサイレン音、
家族でよく行った近所のスーパーの食品売り場の匂い、
朝食の定番・ハムの濃厚な味などなど・・・
視覚以外のところでどことなく、懐かしさを感じられるところも。
そんな4泊6日の旅のメインイベントの一つが
オーケストラ鑑賞です。

シャンゼリゼ劇場で開かれた
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート!
曲目は
・モーツァルト 交響曲第38番 ニ長調 K.504 ≪プラハ≫
・チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 op.74 ≪悲愴≫
最高のプログラム!!
特に「悲愴」はクラリネットのソロがたまらないんです!!

ただこの曲で避けて通れないのが
「フライングブラボー」です。
「フライングブラボー」とはまだ演奏が終わっていないのにも関わらず
観客が「ブラボー!」と叫んだり、拍手をしたりすること。
今回も、全4楽章のうち、第3楽章が終わった瞬間、「ブラボー!」の歓声が響いてしまいました。
ではなぜ「悲愴」ではフライングが起こりがちなのか。
一般的に交響曲は曲のラストに向けて盛り上がり、最後の楽章で壮大なフィナーレを迎える曲が多い一方、
「悲愴」は第3楽章が行進曲風のリズムで、唯一明るく荒々しく終わります。
ですので、曲が終わったと勘違いをして
絶望へと向かっていく第4楽章を迎える前に「ブラボー!」が飛び出してしまうんです。
「おぉ…これが本場のフライングブラボーか」
なんて呑気に思ってしまったのも、つかの間。
悲劇的で自己否定的な激しい感情の連続。まさにチャイコフスキーの人生観が色濃く表現された第4楽章に一気に魅了されました。
静かにゆっくりと終焉を迎え、余韻もたっぷり味わったのち、心からの「ブラボー!」がホールを埋め尽くしました。
最高の劇場に最高の楽団に最高の曲。音楽に酔いしれた夜でした。

学生時代、この曲を何度か演奏会の候補曲に挙げましたが、在学中に演奏はかないませんでした。
いつかまた演奏してみたいななんて、思ったり、思わなかったり。




 
                             
                             
                             
                             
                             
                             
                             
                             
                             
                             
                            